■ 2007年 2月 ■
宗祖親鸞聖人御正忌報恩講特集

「親鸞聖人って、どんな人?」
[3] 六角堂参籠、吉水へ



親鸞聖人が比叡山を下りるきっかけになったひとつの出来事が、京都の四条にある六角堂への百日間の参籠(さんろう)といわれています。
そこで受けた夢告が起因し、専修念仏の法然のもとを訪ねることになります。
その理由も諸説ありますが、比叡山での修行の行き詰まりと疑問、煩悩を断じようとすればするだけ燃え盛る煩悩。そしてそれに負けてしまう自分のこころと負けまいとする自分とのこころ葛藤。 しかし、煩悩を断ずることが出来ないからといって、その心のままに生きていっていいのかという戸惑いがあったともいわれています。

 親鸞聖人が参籠した六角堂は、聖徳太子の建立と伝えられ、救世観音(くぜかんのん)の本尊を安置した太子信仰のある場所として知られ、そこは、仏教によって日本を再建していこうと尽力した聖徳太子に、道を求める人々が訪れる場所でした。
親鸞聖人もその聖徳太子にすがる一人だったようです。

ただ一人、本尊の前に座り考えたことでしょう。山を下りるかどうかということについて迷えば迷うほど、覚りから遠い自身のあり方が見えてきたのかもしれません。

その時の親鸞聖人の心情を妻・恵信尼は、聖人の命終の報告を受けたあとの娘への手紙に
“六角堂に百日こもらせ給いて、後世を祈らせ給いけるに”と『恵信尼消息』(真宗聖典P616)に書れています。
その後、親鸞聖人は悩み続け、95日の暁に


行者宿報にしてたとい女犯(にょぼん)すとも、我玉女の身になりて犯せられん、
一生の間よく荘厳して、臨終に引導して極楽に生ぜしむ。
これは我が請願なり。
善信(ぜんしん/親鸞の名前)この請願の旨趣を宣説して、一切群生にきかしむべし。


「御伝鈔」(真宗聖典P725)

との夢告を受けたといわれています。
そのことがあり、専修念仏の法然上人のいる吉水の門をたたくことになります。
それまでとは違う世界に自ら飛び込んでいくことになるのです。
このとき親鸞聖人29歳、法然上人73歳でした。