■ 2007年 7月 ■
南無阿弥陀仏って、なあに? ーその1ー
 

  < 南無ってなあに >

南無とは帰命なり、これ発願回向の義なり  ―善導大師のことば―

サンスクリットではnamas(ナマス/感謝)という言葉の音写。

帰命(きみょう)・帰依(きえ)=〜を生きる依りどころとする。
                〜に生涯を尽くす。
                〜に身命をささげる。
                〜に仕える、従う。
                〜を敬う。
                または屈礼。 敬意と決意を表す言葉。
                 仏の呼びかけに応えることば。


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わたしたちは常に自分を中心とする心を持っています。
自分を中心にするから自身の幸せをも失ってしまいます。そのために他者を責めてしまうことはよくあります。

親鸞聖人が書かれた『正像末和讃』にはこう書かれています。

自力称名のひとはみな
如来の本願信ぜねば
うたがうつみのふかきゆえ
七宝の獄にぞいましむる   <真宗聖典 P506>

[訳]自分の力で世間を渡っていけると信じて疑わない人は、自分のこころがどこまでも不実であることを知ることがないために、今自分がいる場所が宝に囲まれた地獄であることに気づかない。

と云われています。
しかし、どんな人でも自分で自分の間違いに気づくことはできません。
それを教えてくれる「はたらき」のことを仏(=如来)とよびます。
仏は、そういった時にいつでもどこでもわたしの身の事実を知らせてくれるのです。
その仏を敬い、拠りどころとし、真実である仏に無条件に頭を下げることによって、人生の悩みや苦しみから解放されていくのです。