■ 2007年 8月 ■
南無阿弥陀仏って、なあに? ーその2ー

<阿弥陀ってなあに>

(梵) a-mita (無量) ・・・・・・अमितायुस् amitaayus  アミターユス(寿命)
                または अमिताभ amitaabha アミターバ (光)の二種。

(漢)『無量寿/むりょうじゅ・無量光/むりょうこう』

サンスクリットの a は英語では un =否定形。

mita =量る。大きさ・深さ・広さ・長さを表わす。(英)→meter

<英> un-metar・un-limit

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はかることの出来ない慈悲と智慧を「いのち」と「光」にたとえ、尽きることのない「ひかり」、滅びることのない「いのち」という表現方法で形に出来ない真実というものを現している。

<いのち(ayuth)/慈悲>
衆生=mita(有限) vs 如来=a-mita(無限)

<ひかり(abhaya)/智慧>

光は、 届かないところがない。
    差別がない。
    比べるものがない。
    汚れない/濁らない。
    言葉では現せない。
    迷わない。
    闇を破る。


私達は、“生あるものは死に帰す”という絶対の道理を受け入れられないからこそ、この身が滅ぶことを恐れます。
そういったどうしようもない現実から、逃げれば逃げるほど、逆に生きることが苦しみとなって自分自身に跳ね返ってくるのです。
そういう私達に対し、a-mitaは、永遠に真実であり続けるからこそ、限りのあるいのちを空虚に終わらせる人間を悲しみ慈しんでいるのです。


わたしたちはa-mitaになることはなることはありませんが、「この人生を空しく終わらせるな」という如来(真実)からの声=いつのどこの誰でもが、そうだとうなずき、いつのどこの誰でもがその光に包まれているという事実。

この如来からの問いかけ(本願)に出遇うことによって、生死を超えていく道(念仏)を見つけることが出来るのです。