■ 2008年 6月 ■
「お釈迦様って、どんな人?」
仏教の開祖。
 お釈迦様・仏陀・釈尊・釈迦仏などと呼び名は様々ですが、どの呼び名も、この世の苦しみを超えて生きようとする人間存在のありかたを指しています。

「生まれる」という苦悩 〜法蔵菩薩の出生

 紀元前566〜486ごろ、北インドの小国、シャカ族の王子としてこの世に生を受けたゴータマ・シッダルタは内省的で物思いに沈みがちな青年でした。
自らの出生で母親を失ったという個人的な憂悩、小国である釈迦族が滅びるかもしれないという苦悩、戦争での生活苦や肉親別離という社会的な苦悩をかかえ、傷つきやすい青年はさらに生きることの意味を探してさまよい続けます。
ある日、城の門を出たとき、一人の僧と出会い、出家の決心をします。

道を求めて 往相の菩薩

   ついに29歳のとき、妃と生まれたばかりの子、ラーフラを残し5人の家臣とともに山に入って5年の苦行生活にはいりました。
 あらゆる苦行をし、様々な努力を重ねます。そうするうちにゴータマの体はだんだんと悲鳴を上げていきました。「このままではさとりに到るどころか、疲れ果て死んでしまうのではないか」という疑念をいだき、
そして、ついにゴータマは脱落者と仲間から罵られながらも、これまで続けてきた苦行をやめる覚悟をします。
そうして独り山を下り、ブッダガヤの菩提樹の下に座って、これまでと違う方法で修行をかさねました。
生・老・病・死。この苦は一体どこから生まれるのか、その苦しみから逃れる道は一体どこにあるのかと苦悩し続け、ついに49日目に仏陀(ブッダ/目覚めた人)となりました。
その時すでに35歳になっていました。

衆生教化の旅 〜還相の菩薩

しかし、心の中にまた新たな困惑がわき起こってきました。それは自分のさとった真理をこの世の人々に伝えるということでした。
それはとてつもなく困難なことのようにゴータマには思えました。
「この世の人々は自分に執着し、それを離れるということを知らない。もし私が教えを説いたとしても人々が真に理解してくれなければ、私に疲労が残るだけだ。」
ゴータマは迷い悩みます。 菩薩の修行の最終段階は、達成感による虚無感が襲ってくるといわれますが、まさに釈尊の至った境地はその状態でした。 どんなに深遠な真理でもそれが《自分》という個人の中だけで終わってしまっては一体どんな意味があるのか。こうしてゴータマは「人生は長くない。このままでは終われない」と思い返し、ついに菩提樹の下から立ち上がる決意をします。
この時こそ、まさに我々を救わんとする『真の如来』として生まれ変わった瞬間でした。ゴータマは、自らが得た法を説くという困難な道のりへと自ら踏み出したのです。

真の解放 〜生きる意味

40数年に渡った長い布教の旅で、いつしかゴータマは80歳を迎え、自らの死が近いことを知ります。
そこで弟子アーナンダとわずかな者をつれ、故郷へ旅立ちます。今や釈迦族の国は滅んでしまいましたが、そここそは、ゴータマのこころの原点であったのです。

重い病に冒されながら旅路を続けるゴータマは旅路の途中、ヴェーサリーの町を去る時、ゆっくりと振り向き弟子アーナンダに感慨を込めてこんな言葉を漏らしています。
「この世界は何と美しく、人のいのちは何と甘美なものなのだろう。」

それこそが生きることの苦を見つめることからはじまった、一人の人間ゴータマ・シッダルタの人生の旅路の果てに辿り付いた場所でした。

 ゴータマはクシナガラの沙羅双樹の下に身を横たえアーナンダに最後の説法をしました。

自らに依って 他に依ることなかれ
法に依りて 他に依ることなかれ
自らを依りどころとし 法を依りどころとせよ

「アーナンダよ、嘆き悲しむな。私はいつもこのように説いてきたではないか。すべての愛するものから別れ離れなければならないことを。生まれたものは必ず死なねばならない。死なないということが、どうしてありえようか。アーナンダよ、汝は長い間、実によく私に仕えてくれた。汝はすでに大きな功徳を積んだのだ。これから、いっそう努め励んで修行せよ。速やかにさとりに至るであろう

と説き残されました。
生きることの苦しみから逃れることから始まった釈尊の一生は、やがて逃げるのではなく、人生の苦をすべて生まれた喜びとして引き受けることこそが真実のさとりへ通じる近道であることを最後の説法として80年の生涯を終えました。


親鸞聖人は、その釈尊の生涯を自らの著書『教行信証』に

如来世に興出したまうゆえは
ただ弥陀本願海をとかんとなり
五濁悪時の郡生海
如来如実の言を信ずべし


と讃えられ、その釈尊の教えに遇えた喜びを自らの人生の経験を通し、「それがどんなに遠い道のりであったとしても、今ここに真実の教えに遇えたということは、どんな修行もかなわなかった愚かな私でも必ず救ってくださるという、たったひとつの在り難い道だったのです。」と感得されています。