字:前住職 亀井 廣道 ■ 2015年 4月 ■ 康元二歳[丁巳]2月9日の夜、寅時夢に告げていわく 1257年。親鸞聖人85歳。 「弥陀の本願信ずべし 本願信ずる人はみな 攝取不捨の利益にて 無上覚をばさとるべし」 この和讃は、善鸞を義絶した次の年の2月に夢の告げによって書かれたと記されています。 最晩年の85歳のとき、息子の善鸞をあることがきっかけで義絶しなければいけなくなりました。 義絶状といわれる手紙には次のように記されています。 「ことに破僧の罪と申す罪は、五逆のその一つなり。 親鸞にそらごとを申しつけたるは、父を殺すなり、五逆のその一つなり。 このことどもつたへきくこと、あさましさ申すかぎりなければ、いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。 たいへん厳しい言葉です。 実の子と縁を切らなければならない、こころの中では色んな思いがあっただろうと想像します。 この出来事から私たちが学ぶことは、人生は苦悩の連続。その苦悩のほとんどは思いの通りにいかないということからおこってきます。 聖人は息子さえ思うとおりにならない自分の一生の信仰生活を振り返りながら、以前に執筆した和讃を書き写しては考え、新たに書き下しては考えておられます。 |
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