■ 2006年 12月 ■
「報恩講って、なあに?」
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
<正像末和讃 聖典 P505>
親鸞聖人の命日である11月28日にご縁をいただき、仏の教えと願いにわたしたちが応えていく仏事です。
真宗門徒にとって、一年を通してどの法要・法事よりも重要な行事です。
真宗本廟(東本願寺)では、毎年11月21日〜28日まで7昼夜にわたってお勤めされますが、萬行寺では、1月22日から28日までの一週間お勤めします。
25日の逮夜は御伝鈔拝読、27日の大逮夜には雅楽でのお勤めがあります。
【歴史】
親鸞聖人在世当時、念仏を喜ぶ人々の間では、師法然上人ご命日に、上人のかねての遺言であった、「追善の仏事ではなく、報恩の仏事を行うように」という言葉から、「二十五日の念仏」として集会がつとまっていました。
親鸞聖人の滅後、聖人を祖と仰ぐ私たちの先達は、それを親鸞聖人のご命日にあらため、法縁にがもたれるようになりました。
その後、親鸞聖人の33回忌にあたり、第三代覚如(かくにょ)上人の頃、『報恩講私記(式文)』がつくられたことにより、以来、報恩講が毎年営まれることとなりました。
【意義】
真宗門徒にとっての先祖は、親鸞聖人です。
親鸞聖人は、いまから744年前に亡くなられましたが、その一生をかけて顕かにされた念仏が、これまでにたくさんの念仏者を生み育て、その教えは私たちに遺されています。
聖人が苦悩されて歩かれた道が浄土真宗であり、先達が歩いた道があるからこそ、私たちは『われわれを救おうとするの用(はたらき)=如来』に出偶うことができるのです。
報恩講は親鸞聖人を追善供養する法要ではありません。
聖人の教えにより如来の恩徳に出遇い、真実に生きることの叶わない、救われがたい我が身が問われているのです。
では何をすることが真宗門徒として如来の恩徳に応える事になるのでしょうか?
それは私たち一人一人が、今という「真」の見えにくい時代のなかで、そのご命日を縁として念仏を申して生きていく。
このことによって初めて、「あらゆる人を救いたい」という如来の誓願に応えることになるのです。
私たちが仏事に関わる本当の意義は、全てその念仏相続のためにあります。ですから報恩講は、親鸞聖人の未来の先祖たちへの切なる願いが込められているのです。
報恩講とは、そこに集う私たちが、こころ新たに念仏の教えに出あうご縁をいただいき、この身を、現実に流されて生きるしか術を知らないわれわれの生き方を見つめなおす真宗再興の仏事です。