■ 2008年 4月 ■
「正信偈って、なあに?」


問うていわく、『正信偈』というは、これはいずれの義ぞや。
こたえていわく、「正」というは、傍に対し、邪に対し、雑に対することばなり。
「信」というは、疑に対し、また行に対することばなり。
        正信偈大意 <聖典p747>  

<正信念仏偈/しょうしんねんぶつげ>

浄土真宗立教開宗の書『顕浄土真実教行証文類』の「行巻」の末尾に所収された偈文で真宗の要義大綱をまとめた全120句・60行の定型詩。
インドの釈迦如来に始まり・中国・日本を通して受け継がれた高僧達の教えを讃える親鸞聖人著作の偈頌(げじゅ)。
数ある真宗の聖教のうちでも、最もポピュラーなものです。

正信偈の前文には次のように書かれています。
しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく

『大聖の真言』とは、仏によって人間の本当の問題が取り上げられ、しかもそれが答えられているということです。
これは、真に自己を回復する用らきを持つことばが『真言』です。
そのことばを素直に受け取り、真の自己に目覚めていく道を顕らかにされた方々のことばが『大祖の解釈』。つまり七高僧の教えです。
その教えに、道を求められたのが親鸞聖人でした。
聖人の信仰告白は念仏して生きる本当の意味を我々に問うているのです。
その長い歴史の中で、疑惑の人には真実を、争いの人には和らぎを、憂いの人には慰めを、怠惰の人には厳しさを、というように、あらゆる形をとってまで人間の内奥をえぐり出すのです。
そうすることによって、愛欲や悲喜や苦楽多いの人生において、共に生きる”師”を持つことが、終には一人では乗り越えていけないような人生の障碍も超えていける道が、そこにあるということを我々に教えてくれるのです。


<正信偈読誦の歴史>

 「正信偈・念仏・和讃」を六首ずつ繰り読みするお勤めの習慣は、本願寺第8代の蓮如上人によって、文明五年(1472)に三帖和讃に正信偈を加えて4帖として開版されました。
それまでは法然上人の時代から善導大師の「往生礼讃偈」の読誦を毎日の日課とし、日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中の一日に計六回の勤行が日常の礼拝でした。
蓮如上人はそれを「正信偈・念仏・和讃」を朝夕の勤行にするよう改定して、それを多くの門信徒へ普及することを広められています。
今日でも真宗門徒の朝夕の必須の勤行として、ひろく親しまれています。
真宗大谷派では、草四区目下・念仏・和讃(三濁・六首引)のお勤めが基本となっています。

     ※ 偈(げ)とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。
      「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」という。


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<構成>

                 「総讃」

             「帰命無量寿如来 南無不可思議光」


                 「依経段」

『仏説無量寿経』に依って浄土往生の正因は信心であり、念仏は報恩の行であることを説明し讃嘆した。
釈尊如来と阿弥陀如来の物語。

      「弥陀章」…「法蔵菩薩因位時〜必至滅度願成就」

      「釈迦章」…「如来所以興出世〜是人名分陀利華」

      「結誡」……「弥陀仏本願念仏〜難中之難無過斯」

                 「依釈段」 

インド・中国・日本でこの浄土の教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆。

     「総讃」……「印度西天之論家〜明如来本誓応機」


            <インド>

     「龍樹章」…「釈迦如来楞伽山〜応報大悲弘誓恩」

     「天親章」…「天親菩薩造論説〜入生死薗示応化」


            <中国>

     「曇鸞章」…「本師曇鸞梁天子〜諸有衆生皆普化」

     「道綽章」…「道綽決聖道難証〜至安養界証妙果」

     「善導章」…「善導独明仏正意〜即証法性之常楽」


            <日本>

     「源信章」…「源信広開一代教〜大悲無倦常照我」

     「源空章」…「本師源空明仏教〜必以信心為能入」


            <結び>

     「結勧」……「弘経大士宗師等〜唯可信斯高僧説」