■ 2010年2月 ■
「法事」1 法事の心得

亡き人を案じている私が 亡き人から案じられている。

 新しく家庭を持たれ、初めて親戚の法事に招かれたあなた。
当日の持参品や服装などがわからず、戸惑うことはありませんか?
知らないのは恥ずかしいと思いたって、事前にテレビやインターネットで情報を得て法事に参加したあなた。
ところが、「浄土真宗ではそのようなことはしない」などといわれ、かえって恥をかいた。という方も少なくはないで思います。

今回は法事の「心得」についてお話しいたします。
そもそも、「法事」というものは亡き人をご縁として仏様に行うための儀式です。
亡き人をご縁にして行う行事は、宗教や宗派によって異なります。
例えば「追善供養/ついぜんくよう」という言葉があります。『仏教語大辞典/中村元・著』には「死者の冥福を祈って供養すること(要約)」とありました。
これは、私たちの力をもって亡くなった方を救おうというような意味として一般的にはこの「追善供養」という意味で捉えられています。
しかしながら、よく考えてみますと、この世をこうして生きている私たちが死者に対してどのようなことができるというのでしょうか。
素直に考えてみますと、つまるところ、死者に対して何かしてあげることで自分の心を満たそうとする心があるのが見えてきます。
そう考えるならば、私の心の満足を本当の意味で満たしてくださるものに出会うことが希まれます。
そこに自利(自分のため)と利他(死者のため)の両方が救われていく道があるのです。
そういうことから、浄土真宗の法事は、「亡くなった方を救うために行われるものではない」ということが、まずはじめに言われているのです。

そこから、仏さまの教えやお寺、そこに集う人々との出遇いがあるのです。
人生における出遇いは、私たちの分別を越えた”縁”によるものです。
そのはたらきを「阿弥陀」といい、亡き人は諸仏となって「如来」と出遇うご縁を私に与えてくださっているのです。
亡き人があってこそ、今の生を歩んでいる私があることを忘れ、亡き人のために、私がするのではなく、亡き人の呼びかけに応じ、亡き人の声を聞いて勤めるのが「法事」なのです。