■ 2010年7月 ■
「浄め塩って必要なの?」
「清め塩」は、死を穢(けが)れと見なし、死を忌(い)み嫌(きら)う習慣から生まれたものです。
それは、必ず死すべき身であるにもかかわらず、自分だけは死から逃れたいという考えによるものです。
本来、死に出遇うことは、私も必ず死んでいく身であるということを自覚する場でもあります。
真宗では、死を穢れとすることはありません。「清め塩」は、亡き人のみならず自らをも冒涜(ぼうとく)することに他なりません。
したがって、「清め塩」は必要ありません。
「真宗大谷派お内仏のお荘厳」より