春期 永代経法要 法話録

講師 岡本英夫師 2007.05.28 逮夜   前半



1信心と念仏

昨年からだったと思いますが、『大無量寿経』について少しずついただいてきました。
親鸞聖人が、この経典に真実というものが説かれているということを顕らかになさいました。
わたしもこの教えを聞きはじめて30何年になりますが、最近ではなくて、「いつも」と言っていいのかもしれませんが、少しずつ『大無量寿経』についてのお話を自分で聞いていて「なるほど、これが真宗の教えだったのか」「こういうこととは知らなかった」という思いを何度も何度もお話ししてきたようにおもいます。
何度も話すことがあるということは、「大無量寿経」の話は、私自身において「定番」というか「これです!」と言い切ってしまうような世界ではないという気がしています。
少しずつ「これが教えだったのか」「こういうことだったのか」と、驚きながら、なにか一枚一枚捲っていくような感じがしています。
  それで、最近は特に親鸞聖人が『教行信証』を書かれたということを考えています。
それは、一応書物の上のことのようでもありますが、もっと根本的に言えば、『浄土真宗』という仏道を顕らかになさった。「これは一体どういうことだったのだろうか」という、私自身において新たな問いのようなものがまた最近興ってきています。  人が一冊の書物を書くということは、それぞれ動機があります。「どうしてもこれを書かなければいけない」という非常に強烈な動機で書く場合。なかには「書いても書かなくていいけども、まあ、書こうか」というようなこともあるかもしれません。両極端あると思いますが、聖人の場合には「どうしても書かなければならないもの」であるように最近は思っています。

この教行信証という書物には「序」というのがあります。
「序」というのは、普通、本には序文というのがあります。この『教行信証』の場合にはこれが二つありあます。二つです。
 ところが、私達は、私もそうだったのですが、「『教行信証』に序はいくつあるか」といったら、三つあるという答えが当然のことになっていて、その名も、「総序(p149)」・「別序(p210)」・「後序(p398)」といいますが、親鸞聖人の場合、普通の「序」の付け方とはちょっと違っています。
まず全体の一番始めにあるのが「総序」です。これは一応普通どおりです。普通の書物で簡単なのはその位でしょう。
ところが親鸞聖人の場合はもう一つあります。そのもう一つは、中ほどにある「信の巻」の始めにあります。
「信の巻」というのはもちろん「信心」のことを書かれています。「信心」を私たちがいただく、成就するということが、結局、真宗において一番大事なことになるということです。
その「信心」ということについて述べられる始めに「序」があります。
だからこれは全体からいくと、全体六巻ある中の三巻目ですから途中に「序」があるということになる。途中に「序」があるということは大問題です。
なぜそうなっているのか。しっかりその意味を汲まないといけないという気がします。

 親鸞聖人がご自分で「序」とおっしゃっているのはこの二箇所です。ところがさっき言ったように、真宗学では普通、「総序、別序、後序」の三つというのが定説として教わります。
 そこで、それは何を指しているかというと、「総序」・「別序」というのは定説通りですが「後序」というのが実際一番最後の頁のところにあって、承元の法難のことがあったり、法然上人の選択集の書写を許されたとかっていうようなことが書いてあるのが「後序」(p398)です。その箇所は、実は親鸞聖人は「序」とは言っておられません。では、なぜ「後序」と言ったのか。これは、親鸞聖人の後の存覚上人がおっしゃりました。いまではそれが定説になっているようです。
 しかし、聖人が「序」と言われていないのに後の人が、最後の三番目のあの箇所を「後序」と言うのはどういうことだろうということです。どっちが正しいのかという疑問です。聖人が書いた本なのに他の人がそういうのはおかしい。ここをどう考えたらいいのかと思って色々考えました。何が本当かはよく解りませんが、一応暫定的に「こういうことでないかな」と思っているのは、聖人が「序」と言われたその「序」の意味と、この三つの、存覚上人が『六要抄』でおっしゃるこの「序」の意味が違うのではないかと思っています。

 聖人が、何を「序」というもので表そうとされたのか。
もうちょっというと、聖人の問題意識がどこにあったから総序と別序の内容が「序」ということになるのか。そう言った方がいいかもしれません。
親鸞聖人という方は大変な問題意識を持っておられました。そのことと「序」というものが深い関係があります。それはさっき言ったように、書物を書くときに「書いても書かなくてもいいけど」と言って「まあ書いたんだ」というくらいの書物がもしあるとすれば、その「序」を書くとしても、あまり大した意味ではないかもしれません。 しかし、『教行信証』は聖人にとって「絶対に書かなければならない書物」だったわけです。
そういう書物をこの世に顕わすとき、「序」は意味が違ってくる。
そこのところが大事だということを、私も最近思いあたっています。

それでも、存覚上人が言われるのが普通の感覚ではないかと思います。
書物があれば、最初に「総序」、全体に関わる、いわゆる「はじめに」というような序文があります。それから最後は、書き終わったときに「おわりに」というような感じの文章があります。長い文章を書いていったら、いよいよこれで終わりだというときには、自分がこういう書物を書く、あるいはこういうような考え方を持つに至った動機とか経緯とか、感謝すべき人へのお礼とか、そういうことをどうしても書く気持ちがそっちの方へ動いていくとおもいます。それで、最後の方は、承元の法難のことを書いたり、法然上人の選択集の書写を許されたというようなことが書いてある。だから、承元の法難で流罪になって、法然上人への大変な感謝の気持ち、そういうような物が本当に綴られているわけです。

 普通の一冊の書物があれば、「ここを最初の序にし、ここを後の序にする」という、そういう視点で押さえられているのでないかと思います。そういう視点で見れば、あそこのところは本当に「後序」というのに相応しい内容です。
本当に最後のまとめ、そういう経緯や感謝の気持ちを記した、本当に相応しい内容です。だから「後序」といわれて何もおかしいという思いもしないところです。
しかし、大事なことは、親鸞聖人はそこを「序」とはおっしゃらなかった。
ということは、「序」の意味が違うということです。
聖人がおっしゃった「序」の意味が大変大事です。その辺をもうちょっと詳しく解りやすく申したいのですが、私の中であまり発酵してないので、ただ、イメージだけあります。
『教行信証』という大部な御聖教・書物でもって、その内容で本当の仏教というものを表すわけですが。既成仏教というその殆どがいわゆる自力聖道門の教えで、念仏の教えは平安時代の頃からありましたが、当時はいわゆる「本当の念仏」にまでまだなっていません。そういう状況の中にあって、「本当の仏教。本当の念仏はこうだ」といって、目の前にあるの分厚い板を硬い斧で一気に叩き割る。その叩き割る斧の最先端はとても硬いということです。それが聖人の云われる「序」なのではないか。そのようなイメージは頭の中にあります。それが最近の感想です。


  2、浄土真宗における三つの問題

 それで、このことと非常に深く関連をするわけですが、この一、二年に、「浄土真宗には三つの大事な点」があると申してきました。この三つの大事なことで浄土真宗はできている。この三つの一つでも明らかにならなければ浄土真宗は存在していません。この三つがあきらかになったからこそ、浄土真宗として存在した。もしくは顕れた。

 
     行の問題

「行」というのは「何かをする」ということです。簡単な問いの形としていうなら、迷っている・虚しい。あるいは、苦しい、生きる意味が解らない。このままではいつまでも同じ“苦”が繰り返し続くわけです。
では、その迷いを越え、虚しさや苦しみをついに解決していく。そういう自分として、この世界に生まれて本当に良かったと心の底から言えるような自分になるためには、「何をしなければいけないのか」または、「何をすればいいのか」という疑問が浮かび上がってきます。
何もしなければ事態はそのまま変わらないまま。何かしなければいけないはずだ。
しかし、なにをどうすればいいのか、それをしたとしてどうなるかのわからない。自分なりに色々考えてやったけれど「やり方が足らん」と言われれば元も子もありませんが、しかし、それなりにやってもどうも本当の救いというか、そういいったものを得たようではない。
では、わたしは「何をどうすれば、その迷いを越え、虚しさや苦しみをついに解決していいけるのか」という問題がでてきます。これは必ず問われる問題です。
 これについては、もうすでに、親鸞聖人以前から、「なすべきことはこれなんだ」ということが明らかにされていました。それがつまり「念仏」です。
それまでの歴史の中でほとんどの仏教徒が繰り返しやってきたことは、念仏ではなく、いわゆる「自力聖道の歩み」でした。「自分の力で自分の迷いの原因である煩悩を克服していこう」という歩みです。
そしてそれができるように思っていた。そういうことでしょう。
 しかし、それはいくらやってもできない。そこで、色んな方がそういう現実にぶつかって、南無阿弥陀仏という仏の働きをいただいて、そこに始めて凡夫が救われて行く道が開かれていくのだと、こういうことに気づいた人が何人も出てきました。その教えがまた次に伝えられていったのです。その教えが龍樹菩薩から始まる七高僧の祖師たちの教えなのです。

 そういうような方々の念仏の受け止めというものがあり、親鸞聖人自身は比叡山で二十年間、自力聖道の歩みをなさって大変苦しまれました。そのころすでに七高僧を伝わって流れた念仏の教えは法然上人のところまでやってきていたのです。これは本当にいい先生がそのときにおられたわけです。そしてついに真実の教え出遇うことができたのです。

 真宗で最初に大事なことは、自力聖道の行ではなく、念仏によって如来の真実なるものが私にはたらく。私を救おうとして真実なるものが私にはたらいてくる。
そのはたらきが『南無阿弥陀仏』です。その働きをいただくところに初めて人間の救いが興る。そこをはっきりとさせたということです。
これまでも、そういうふうに七高僧において、はっきりされていたと言ってもいいわけですが、親鸞聖人自身も「その通りだ」ということが解って、それで「我々がなすべき行」、「念仏」というものがこれまであった既成仏教の殻を破り、さらに明確になっていったのです。
私たちが念仏申すということは、私たちのところで事態を押さえているわけですけれど、根本は如来のはたらきです。その如来のはたらきを「大行」といいます。
「私たちが何かを行なう」ということではなく、その私たちが行ずることの元が「如来が私たちにはたらく」ということであり、それが「大行」ということです。
「大」は真実の行です。つまり如来の「行」です。真実の行です。
その如来の行を私たちがいただく。ですから主語は「如来」にあります。
「行」の主語は「如来」にある。そこから言えば私達は「行じられる側」です。「行じられる」ということを行じるのです。

 ただ行じられるのであれば受身になりますが、それは受動的で何か勝手にされるだけということに受け取られるかもしれません。それはそうではなく仏のはたらきをいただくということです。
『いただく』ということは、実に積極的な行為としてです。
ここは私たちが自分の主体をかけていただいていく。そのいただいていくところが「念仏もうす」ということです。
そういう「行」をなすべきだというわけです。これを親鸞聖人が『行巻』で顕らかにされます。これが一つの大事な点。


    信心(こころ)の問題

 あと二つありますが、この三つの大事な点の関係ですが、三つあるからといって並列ではありません。問題は一つです。
この「如来のはたらき、如来の大行」というものを「真実なるもののはたらき」というものを私が本当にいただくとそこに私の救いが興る。
虚しさを越えていくことができる。そして本当の意味で充実する。
これだけで十分なのです。ところがこれだけでいいのですが実はまだ問題が隠れています。
問題の方が悪さをして隠れようとしているのではないのですが、実は私たちの方が問題を隠していのるのです。つまり問題を見ないことにしているということです。
 そういう問題が、この「大行のはたらきをいただく」というその行為の中にあります。この「中にある」というのは、ちょっと解りにくいのですが、一応念仏は申しているのだけれど、念仏をもうしていればということで安心してしまい、その中にある問題に気づかないまま通り過ぎているかもしれないということです。ここが大問題です。

 これがつまり信心の問題です。「信心の問題」というのは、元のとこで言ったら「意(こころ)の問題」です。�が「行」の問題、�が「こころ」の問題ということです。
 例えとして、ある人が、私の誕生日祝いにケーキを持ってきてくれました。ところが私は、なんでこの人がケーキを持ってきてくれたかを尋ねもせずに、相手が「これをどうぞ、あげます」と言うから、ただ「あ、そう、じゃあ失礼します」と言って全部食べてしまった。そこでわたしは「なぜこれをくれたの?」ということを尋ねなかったとします。そのことを尋ねないまま、その人に「ありがとう、バイバイ」といってそのまま帰っていった。そして、わたしが家に帰った後、そのお祝いをあげた人はかんかんに怒っている。「なぜこれをくれるのかと尋ねてくれんのか!」と。そこで言えばいいんですだけどね。貰った人もちょっと遠慮があって言えなかった。
 どうしてケーキを持っていったかというと、こういうことを日ごろはあんまりしないので、今日はわたしの誕生日だし、いつも大変お世話になっているからということで日頃の感謝の気持ちを今年の誕生日には特別に、気持ちを持ってお祝いをさせてもらいましょうということです。その人にはその気持ちが心があったのです。

 そのこころが最初にあった。ケーキが最初にあったのではありません。そのこころが最初にあったのです。
だから会いに行って、「誕生日おめでとう、いつもありがとう」と言えばそれで済むことなのですが、何か物を添えて持って行こうとした。だからそのケーキは物ではないということです。小麦粉にクリームなどのっている『物』ではないということです。それは「こころ」です。
その人の「おめでとう、ありがとう」という心がこもった「物」です。このケーキの正体は「こころ」です。それをこっちの方は、「ああ美味いものがある、いいものがある」と言って物だけを貰ってしまった。そういうことが私たちにはあります。大体人間っていうのは、そういうことをしやすいのかもしれません。人の親切な心を貰うというのもなかなか抵抗のあるものですから。

 こういう例である程度言えるとかとおもいます。仏の大親切です。
ある意味では、「あなたを救おう」という親切です。しかし「余計なお世話だ」と「私」は思うってしまうのです。「あんたに救ってもらわなくても、自分はこれで結構やっている」と。しかし、念仏というものを何度も見せてもらうと、「まあ、これはこれで善いものだな」と思えてくる。そう思うのもなかなかですが、「では、念仏は申しましょう。しかし、念仏の中にこもっているあなたの心はいただきません。」と思ってしまう私たちの心の中に初めから人間の我の心・我見というものが欠目なく具わっているのです。

この南無阿弥陀仏のはたらき、如来真実が私たちを救おうというはたらきを私たちにかけてくださっているのに、私たちは南無阿弥陀仏と念仏申すこと自体をおそらくお互いに拒否していたのではないでしょうか。それが段々と南無阿弥陀仏が何であるかという教えを聞いたりしていくうちに、ゆっくりと心の氷が解けていき、いつのまにか念仏を申すようになった。そして教えも聞いていこうとするようになった。この世界はいいぞとも思うようになった。
 しかし依然問題なのは、私という存在の全体が、南無阿弥陀仏というはたらきを、存在のすべてをあげていただいたというふうには、まだなっていない。
それほど人間は浅くはありません。浅くないといっても自慢はできない。それはつまり人間の闇がとても深いというわけです。
ですから、そういった「行」はある程度受け入れることは出来ても、「心までは明け渡さんぞ」と思ってしまうものです。「これが真実だ」と云われる南無阿弥陀仏も念仏ももうしている。我の心をそのまま持っている。仏が真実であるという念仏も一応申すようになった。これは世間と仏法の両方の大事なものを両方握ることができたということです。
「鬼に金棒」というかなんというか、これ以上のものは何もない。
この二つを握ればもう大丈夫。これが私たちの考えでないかと思います。
「わたしたちのなかにそういう心の問題がある」ということを親鸞聖人が明らかになさいました。


曇鸞の回心

 このことは聖人が初めてというわけではもちろんありません。特に七高僧の中の曇鸞大師といわれる方がすでにこのことを明らかにしておられました。自身がこの問題でつまずいたのです。曇鸞大師は、大乗仏教の「空」の教えの大家でした。
その方が、大きな仕事にとりかかろうとしたけれども、体力にちょっと自信がなかったので事前に体力を十分につけておこうということで、いろいろ試した結果、「本当のいのち」というか、「本当に生き生きとしたいのちとは何か」ということを見誤りました。
いわゆる迷信的な方へぐらついたのです。その間違った曇鸞を叱ったのが、菩提流支(ぼだいるし)三蔵です。「お前は本当のいのちというものを知らんな」と、「如来の無量寿(阿弥陀)こそが本当のいのちだ」と言って叱りました。そして、如来の無量寿を説いた経典というものを曇鸞に渡し、かれはそれを一生懸命学び、その経典の教えを元に求道しました。
 その教えのなかに天親菩薩が作られた『無量寿経優婆提舎願生偈/むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげ』(聖典p135)というものがあり、その中に「世尊、我一心に」という一説があります。曇鸞大師はあの「願生偈浄土論」という書物でそれを勉強なさっている。あの書物を元にして道を求めているときに、どうしても越えられない問題があったのです。天親菩薩の教えはどうも「念仏を申すと闇が破れ願いが満ちてくる」と、「破闇満願」という。念仏を申す私の中に願いが満ちる。これは、如来の願いが私の中に満ち溢れているということで、これが私たちの救いの姿を端的に表しているのです。


曇鸞   天親の教え

 菩提流支に叱られたのは五十代になってからです。それでも一生懸命求道をしました。天親菩薩の教えは真実のようだけれど、自分は一応、天親菩薩がいわれるように念仏申すようになったものの、自分のこころは少しも闇が晴れないし願いも満ちてこない。これを越えられないと悩むのです。曇鸞はその点を求道なさったのだと思います。
そうしていくうちにそれは正しい求道だったということがわかりました。それは心が問題だったのです。
一言で言えば、「わたし自身が不純であった」ということです。いただく大行のはたらきはまさに真実のはたらき、そして、その大行のはたらきは真実。しかし、その真実なるものを受け止める私の心は「不実」「不純」です。そんな心で「これが真実だ」といくらいってみてもそのことを受け止められるはずがありません。
 それが自分の心だったということに曇鸞大師は気づいたのです。
そのことを易しくいくつか説いた教えがあります。例えば、「私の心は不純な心です」とこういう言い方をします。
この「純」というのは、飾らない心です。ありのままです。だから、私の心はこうだけれど、今日は人前に出るからそのまま見せるのは恥ずかしい。だからどうにかして自分を飾る。そういうのが不純な心、飾る心です。飾ったもの同士が出会っておしゃべりをして、家に帰ると「ああ、くたびれた」と言っている。いかにその飾っているものが、化けの皮が剥げないように巧く話をしようかと考え考え話をしたらくたびれる。そういう飾る心を私達は本当に一杯持っています。

 今の場合は、仏に対して飾るということです。仏は私たちの飾るこころも飾らないこころも、われわれの正体をご存知なのです。本当の姿は清浄真実の心のない存在。そういうことを仏は明らかになさいましたから、真実である仏ですから、真実が無くて困っているものに働きかける。
真実の方から、自らはたらきかけてくる。
これが仏です。それに対して仏の方が歩いてくると、逆に私の方は「いいえ結構です。間にあってます。十分に救われていますからあなたのお世話にはなりません。」とかなんとか言って自分を飾るわけです。ニコニコッとするのでしょうその時は。なんだか元気のあるような格好をするのでしょう。それで結局、仏の本当の真心に遇えない。真心がわからないということになります。

 そういうようなことを、曇鸞大師が見出していきます。そのことが親鸞聖人には非常に大きな教えになる。曇鸞大師という方は親鸞聖人から700年位前の人になりますが、そういう方から大変大きな教化を受けるのです。そういうことでさっきの『教行信証』という書物に、私はこの曇鸞大師から大変な教化を頂戴しましたということを載せていくわけです。親鸞聖人もこの問題に同じように出遇われたのだと思います。
それが、信心の問題・意(こころ)の問題です。

 聖人は、問題は心にあるということを見抜かれました。何が「本当のこころ」なのかということを、『教行信証』の「行巻」に続く「信巻」で顕かにしています。
如来が第十八の願で、「至心信楽欲生我国」と「至心信楽欲生」とおっしゃったあのこころこそ真実の心。如来はその真実のこころを私たちの上に廻向成就しようと願われている。これが第十八願です。
それから「真実のこころとは何か」という大変な問題を聖人は顕らかにされる。そして真実のこころは如来のところにあるのであって、如来自身の願いによって私たちの上に成就しようとされる。それが『本願』です。その成就しようとする方法が、南無阿弥陀仏のはたらきです。こういうことを「信の巻」で顕らかにされます。
 そのときに、初めに言いました「序」がつけられるのです。ですから、念仏申すようになっても問題が解決していかないのは、このこころが問題であるということが表らかにならなければ、私たちの本当の救いは起こらない。
ここを顕らかにしなければいけないということです。
それでなければ、「自力聖道門の教えでは救われない」ということがわかりにくい。いくら念仏が大事と云われても、その念仏でもやはり救われない。「念仏で本当に救われるのだから、その救われるための鍵はこころにあるのだ」と十八願で仏が願っている。「至心信楽欲生」という信心を頂くということがすでに救いの条件です。

 信心を頂戴することによって、さっきの「大行」の中にあった問題。信心とこころの問題。この問題が解決して初めて全体が解決する。ですから、人間の救い真宗の教えは、「念仏一つです。もう他は何も無い」と言うときは、信心の問題が解決しているという時です。

 言葉というのは、あまり短くいうと、何か省略されてしまい見えないことが一杯あって、「もうちょっと丁寧に言ってくれ」ということになるでしょう。だから、「念仏一つ」というときは、これは非常に短い言葉ですから、また誤解が起こりやすい。しかし、「念仏一つですよ」と言っている人が信心の問題が解決していなければこれは大問題です。
その人は、大問題に気づいていないのかもしれない。ということがあるわけです。
これが二番目の問題です。

>>つづく<<

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