字:住職 亀井 廣道
■ 2006年 10月 ■
あさな あさな 佛とともにおき
ゆうな ゆうな 佛をいだきてふす
このことばは、『安心決定鈔』の中に引かれる中国の傅大士(ふだいし)のことばです。傅大士は、大乗の教えに造詣が深くまた仏教以外の書物にも詳しい、尊い人であったといいます。彼は、禅宗の祖とされる菩提達磨(ぼだいだるま)と出会い、その指示にしたがって山中に棲(す)んだといわれます。昼間は農作業を行い、夜になると仏道修行に励んだといいますから、仏教に深く帰依しながら、在俗の生活をいとなんでいました。「仏とともにおき」「仏をいだきてふす」という生き方は、衆生が仏と一体となって生きることを意味します。
わたくしたちの毎日は、沢山の苦しみで溢れています。しかし、その苦悩を苦悩だと自覚できないでいる。その迷いのなかで生きている衆生をいつもあわれみ念じている仏がいるのだということを、『安心決定鈔』では説いています。