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1【 読み方 】

 われわれの歴史観の形成は神話や民話によるところが多い。あるいは日常性のなかにある習慣や儀式と、それに使われる道具・祭司の用具、あるいは落書きなどによって伝承されてきた部分も多い。いわゆる《記憶された歴史》として伝わってきたことである。これは文字を持たない民族ばかりでなく、印度・中国・ギリシャ・エジプトなど、早くから文字という伝達方法をもった世界にもあったように、記録より記憶によって、永い間培われて来た歴史伝達がそれである。

 古代社会から今日に至るまで、ヨーロッパでもアフリカでも、世界中がそうであったと考えていいだろう。ところが近代と名付けられた時代になってくると、出来事を文字によって後世に残すという歴史資料がたくさん作られるようになって来た。とくにルネサンス以後、ヨーロッパ帝国主義の台頭とともにヨーロッパ至上主義によって、スペイン語・ポルトガル語・英語などによる世界共通言語ができはじめ、グーテンベルグが印刷技術を一変させてからはその方法が変わり、事件の記録が文字になって大量に保存されることが起こってきた。
そこで神話や民話などの伝承による、《記憶された歴史》が次第に意味を失って、《記録された歴史》へと変化してきた。唄や物語のような“こと”による記憶された歴史よりも、科学性のあるものが記録であるとわれわれは考えるであろうが、正確さにおいてはどうだろう。
記憶の歴史の方がより深く、より正確に人間のありさまを伝承しているという一面をもってはいないだろうか。
《記録された歴史》は文字を読み書きできる人によって、作り出された歴史資料である。反面、記録されなかった出来事は権力の目に止まらなかったか、あるいは抹殺された人間の闇の部分の出来事といえるであろう。

われわれは歴史を、そのあるがままに見なければならない。
つまり、われわれは歴史的、経験的なやりかたをしなければならない。
殊に、専門の歴史家に惑わされてはならない

とヘーゲルは言っている。たとえばアメリカ大陸の先住民を真っ先に、世界中に抹殺された人々の《記憶史》は無際限であろう。われわれが資料を読んで行く場合にはこういうことが気にかかる。その原因の一つは、明から闇(上から下)をみた眼によっているからだ。実際には、今日の近代化された歴史資料として文字になって記録されてはいないけれども、遥かな時間の彼方から聞こえてくる、見えない闇の屍の“声なき声”の方が、より事実であり、しかもその事実の底が深いということはないだろうか。それらの中に無量無数の、しかも一人一人の人間の出来事が、物語という記憶装置のなかに隠れているのではないだろうか。

 京都の町屋の格子は暗い方から通りの様子を窺うようになっている。そしてあの世からこの世を窺い見ることを、「草葉の陰から」という。殺された人間の眼の視座で、《記録された歴史》を見れば、もしかしたら書いた人の都合によって選択されて、隠されていることがたくさん見えるかもしれない。わたしはそう思った。
 そこでこのレポートは文字によって《記録された歴史》の資料をつなぎ合わせて、構成してみた。これら資料の裏面に、記録されなかった「闇の領域」が何であったかをどこまで読み取って行けるかという試みをしてみたかったからである。近代人の五感に触れ得ない闇の日本史をどのようにしたら見ることができるだろうか。

 蓮如上人500回忌を迎えようとする本願寺。コロンブス500年記念祭典行事は1992年に、「福音か侵略」かの論争が再燃した。そして原爆50周年を迎える1995年8月9日の長崎・広島は色んな意味をもって、歴史を告発しているだろう。
 その「長崎」に指標を定めて、歴史家によって名づけられた「中世から近世」つまり応仁の乱から鎖国完成までの切支丹史を追いながら、闇のキーワードを探ってみることができないだろうかと思った。

1995年8月9日
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